新井英一IN 藤野 カフェ・レストラン『Shu』 

 
 現在9月7日午後5時。私は今、神奈川県藤野にいます…ってどこよ?、そうお思いの方にはこう説明すれば分かりやすいでしょう、簡単に言えば東京の左側です。東京駅からだと中央線の終点「高雄」のちょっと先。藤野のずーっと先は長野県の松本。松本へはお座敷列車も走ってます(一度なら 乗ってみたいな お座敷列車♪)。私ももう藤野は3度目になります。「血の騒ぐ唄」に血を騒がせてやって来たのが最初で、すっかりお気に入りの場所になりました。今回のライブのタイトルは『柔らかな風に吹かれて』…なんか羽織り物用意しといた方が良さそうだな。というわけで、今回も遠路はるばる藤野までやって来ました!

受付で話題になったチラシです。一見同じステージに見えるが、撮った時期は同じではない。満場一致で可決(笑)。

「藤野」と聞いて反射的に浮かぶのがこの青いライト。ここにいろんなものが映し出されるのです。

 パチパチパチ…うわっ、どうしよ、どうしよ〜〜、自分が歌うわけでもないのにドキドキする、今日に始まったことじゃない、毎度のことです。え〜ッ、始めるのォ!?こんな状態じゃ聴けないよォォォ!!! 
オープニングはピアノで、『恋はやさし野辺の花よ』。ああ、大好きな曲だ!…「恋はやさし、野辺の花よ〜♪」…私の前にスッ、男性が立ちはだかりました。するとあれだけ騒いでた胸がウソみたいに静まりました。肩のラインからしてとーっても大きな人です。この人の身体でステージのライトは遮断され、私の視界は真っ暗になりました。目の前は、彼の大きく広い胸…最初はそう思ったのですが、胸ではないことにすぐに気づきました。なぜならすごく熱いんです、汗がじわじわにじみ出てくる。これ、心だ。むき出しになった彼の心が、恋人を想い、語っているんです。大きな穴のようなそこには様々な風景が描き出され、真正面を向き、ぐらりとも揺らがない身体に惹きつけられ、私はただただジッと直視するしかありませんでした。…が、暑い、とにかく暑い(;´Д`)。せめてもう少し離れてよと思うものの、いやいや、このままでいいのです。だって私がいつも言ってる、主人公が歌の枠を飛び出した状態がまさに今なのだから。私の大好きな人の心ってこんなに熱かったんだ、そう知ったことに喜び、暑さにヘキエキし、知らん顔して(かどうかは知らないけど)唄ってる新井英一の背中をチラリ見て、この人がそうさせてるんだよなぁ…?と再確認し、また目の前に視線を戻して唄を見る…ちょっと忙しくも期待の大きい、藤野のライブの幕開けでした。


『ひまわり』。男の人が入れ替わりました。またもやとっても大きな人。今度は私の前ではなく、左上方にその存在を感じました。と言っても姿はまったく現しませんでした。じゃあ、なんで大きな人だと思ったんだろ…そうだ、声がすごく大きかったんだ…。音響の加減ではありません、そもそも歌を聴いてるという感覚はありませんでした。独白…。でも私は無言の部分を聴いていました。別れる恋人に向けて語りかけてはいるけれど、言葉と言葉の間、無言の部分にこそ、この人の心がいっぱい詰まっているように感じたんです。空白がいっぱいありました、だから、声がすごく大きく聞こえ、とても大きな人だと思ったのでしょう。…唄の半ばぐらいまで知らない歌だと思いましたが、もしかして、これ、『ひまわり』? それならDVD持ってます、12年前、新井英一の『映画音楽の夜』ライブで聴いて、買いました。でも未だに見ておりません。どうせ別れるの分かってるもん、かわいそうじゃないですか(じゃ、なんで買ったかって? 記念です・笑)。久しぶりに聴いて、やっぱり見るのやめようと思いました。でも歌の最後の最後、急に現れたひまわり(量からして、ひまわり畑だと思ったんだけど)が、とても目に強かった。あの濃い黄色が、それまで一杯だった私の悲しみを打ち消し、この恋人達にとっても同じであるように感じました。このひまわりを見てみたい、DVD見ようかなぁ…。


 ピアノを離れ、ステージ中央に座り、『命の響き』。あれぇ?またスケール大きくなってない?…そう感じました。どこが?どうしてそう思うの?、唄聴きながら自分に問いかけました。でもいくら訊いても、私、何も答えないんです。たいてい答えるんですよ、もちろんちゃんとした言葉じゃなく、例えば映像だったり、ワンフレーズだったり、ポイントを私に投げるんです。それが今回は自分で自分を無視していました、「そんなこと、どうだっていい!」と、えらく強気。それにまたあの暑さがぶり返してきてる。暑い暑いと言っておりますが、暑さの種類が明らかに違うんです、気候による暑さとこれは。身体の表面に当たる熱ではなく、自分の身体の奥から発する熱なんです。だからしつこいけどホントに暑いんです!困ったなぁと思いながらも、唄にウン、ウンと頷き、手を何度もぎゅっと握りしめていました。ものすごーく偏った自分の好みからすれば、それほど夢中になる唄とは思えないんだけど。何がそこまで私を真剣にさせるのか、この時はわかりませんでした。


『元気』。もうーッ!! いい加減にしてよ、いっそう暑い!! この暑さ、今なら笑っていられますが、この時は困り果てておりました。ドキドキ、いや、そんな悠長なものじゃなかったです、全身カァーッと来て、胸の底から次から次へと、何か分からないけど、感情の塊がこみあげてくるんです。確かに大好きな唄で、聴くといつも興奮するのですが、ここまで激しくはなかった。…息苦しいわ、暑いわ、自分の感情を抑えつけようと手を握りしめて、身体ごとギュッと縮こまって聴いておりました。「空を見てみろよ♪」、その瞬間、頭の中に青空が浮かび、全身の力がホロッとゆるみました。空を見上げる余裕!どんなに辛くてもこの余裕が絶対必要だ!と思いました。好き好き好き!なんだか泣きそうになりました。

 
『物語』。今振り返って真っ先に思い浮かぶのは「濃厚」の二文字です。愛が濃厚だったんです。肩から腕へ、胸、背中と至る所に愛を塗りたくられてる感じ?…。アハハ、なんだかこんなこと書いたら、愛の押し売りの歌みたいにとられるかもしれませんが、言いたいことはそうではありません。この時は唄を聴いてると言う受け身一方の状態だから強くそう感じたのであって、なるほど、恋愛の実態ってこんなものかもしれない。おかげでこの夜、ひとつ気がつきました、「縁」についてです。愛と縁、この二つの比重が、見事なバランスで唄い描かれていました。申し上げてる通り、愛はとーっても濃厚に唄われていたんです、反対に「縁」は小さくサラリ、ほとんど気が付かないぐらいでした。いつもならこの唄を聴いて、未だ縁がない自分をネチネチ・チビチビぼやいている私ですが(笑)、このアンバランスな描写のおかげで、縁とはそういうものなんだと初めて思った。別に嘆く必要なんかないわ、そのうち何かの拾いモノにくっついてるかもしれないし。私、やっぱり愛に走る!何も求めず今まで通りに!!


『横浜ホンキートンクブルース』。前に聴いたの確か7月だったから、そんなに時間経ってないな…。強烈なインパクトがある唄ですからね、そう簡単には忘れません。ところが唄が始まって第一声、「あ〜、違う!」。何が違うか…時間の位置が違うんです。この唄に感じる時間と今ここにいる私との距離がいつもより近い。つまり、いつもは主人公の男性が過去に行く(と私は思ってる)んですが、この日はそうじゃなくて、過ぎ去った時間を自分の方に引っ張り出してきたような印象を受けたんです。いい意味での強引さを声に感じました。これを確信したのは歌の2番です。画面から発する光と色が強くて濃かったのと、人が大きかったのでやっぱりだと思いました。もうひとつ、アレ?と思ったのは、同じ2番、私が感じたのは恋じゃなくて、もっと別の感情、友情的な親近感です。ん?この二人、そんなに近かったっけ…元々友情から始まった恋だったのか?そんなことをチラリ思ったけど、ほんの一瞬でしたから気のせいかもと打ち消しました。でもなんか違和感がつきまとう…。もしかして、いつもの主人公とは違う人?…そう思うと納得行きますが、う〜ん、わからない、外見は同じ人なんです、でも中身が違うように思えて仕方ない…。3番目の千鳥足のとこもそうでした。揺れる彼の肩、寂しさが乗っかってるみたいでした、寂しさの量がいつもと違うと思ったから、このシーンも目に焼き付いてます。唄の最後、『♪ヨシオとユーサクのホンキートンクブルース♪』、あー!


この日は客席に俳優の寺島進さんがお越しになっていらっしゃいました。いつだったか、新井英一、「寺島さんも俺のライブ、時々来てくれるんだよ」と言っておりましたが、まさか遭遇するとは思わなかった、ラッキ〜♪ 「原田義雄も松田優作もいい男だったねぇ」。当ッたり前ですよ、原田義雄、長年私の理想の男性だったんだもぉ〜ん♪ ま、新井英一を知ってからは理想のタイプ、大国主命に変わったけど。私の話などまーッたくどーでもいいのですが、新井英一が何を話してたか忘れてしまったので、話のつなぎに入れました(笑)。


次の曲が先だったかこっちが先だったか、順番忘れてしまいました、先にしときます、松田優作さんが亡くなって作ったと言う『シャングリラ』。それは知っていましたよ、どこかでチラッと言ってましたから。知ってはいましたが、唄の中ではほとんど意識したことありませんでした。…でもこの夜は違いました。途中からすごくしんどくなりました。唄がしんどいんじゃないんです、新井英一の声に、駆け抜けるように生きた優作さんの生き様がオーバーラップしたと言うしかないですね。とは言え、誰ひとり姿を現わしたわけではありません。画面には人の姿どころか何にもありませんでした。…あれはおそらくエネルギーだと思います。短い時間の中にギュウギュウに詰め込まれたエネルギー、それが私の胸を突いてくるんです。そのひっきりなしの速度と強さに、私はせっつかされ、息が詰まって苦しかった。でも画面は明るかったですよ。白じゃない、あれは銀色と呼ぶにふさわしいですね。美しいと言えるかどうかはわかりませんが、銀の粒子でいっぱいでした。目は明るい中、私は暑さと苦しさで困り果てていました。


『天に続く回廊』。これ、凄かった…。今思い出しても唄声も画面もちゃんと出てくるのに、言葉が出てこない…。何かひと言でも書いたら、すごくチンプになってしまいそうです。そうねぇ、これだけ書いておこうかな、この時の私の精神状態を申し上げるなら、腕半分を口に突っ込まれた状態、かな? 具体的な様子ではなく、そういう状態でとどまっているしかないご自分をご想像いただければ、私がどんな風にこの唄を聴いていたか、だいたいおわかりになるかと思います。曲名とは裏腹に、この夜の私の意識は下へ集中する一方でした。男の足の下、地面です。


『南人情博多節』。う〜ん、何の話からこの唄に入ったんだっけ…単なるMCのヒトコマだと思っていたんですよ、まさか唄に入るとは。ダメですね、私。唄はたいてい覚えてるんですが、喋りはすぐ忘れる。なんででしょうね、これ、新井英一に関してのみの、不思議な現象なんです。節付けて喋ってくれたら別でしょうが(笑)。私、他のファンの方すごいと思いますよ。「確かにそんな話してたわ!」、よくまあそんな細かい喋りの部分まで覚えていられるもんだと感心するもの。ちなみに叔父もその一人です。私含め他人の話はまず聞く耳持たない人ですが、新井英一の話だけはよく覚えてる。「新井さんこう言うてた、ああ言うてた」、私がライブ行ったら「新井さん何言うてた?」。覚えてないっちゅーの!…あ、そんな話はどうでもいいですね。というわけで、話の途中でいきなり唄になった「南人情博多節」。とても良かったです。ステージをまっすぐ見て聴いていましたが、私が見ていたものは新井英一のすぐ後ろに流れる光景です。今じゃもうこんなの残っていないでしょうね、小学校の木の廊下、薄いガラス窓からは木々が見えて、黒ずんだ廊下が一層葉の緑を引き立てています。そこを元気に駆ける子供たち、いがぐり頭の細っこい少年がとりわけヤンチャそうで伸び伸びしています。時折何やら大きな声で言ってるんですが、私の耳には届きません。歌は3番になっても4番になっても、私にはずっとこの廊下が浮かんで消えませんでした。最後は誰もいなくなってただの廊下だけになりましたが、そこに過ぎた時間が、私にはとても愛しく恋しく思えました。


『清河への道』。楽しい時間にも終わりがあること、またすっかり忘れておりました。もうそんなに時間経ったぁ??? 今日聴いた全部の唄をふり返るほど時間の余裕はありませんでしたが、今日のライブの仕上げ、どんな「清河」を見せてくれるんだろう…滅多にそんなこと思わないのに、なぜか思いました。…今夜もいつもの通り、主人公と一緒に旅をしました。ただ、いつもと違ったのは、視点です。いつもなら私、主人公も視界に入っているんです。なのにこの夜はその姿はなく、私の目が周囲を見回しておりました。とは言え、何度も何度も聴いている唄ですからね、目に飛び込んでくる光景の角度は違えども、印象は大して変わりません。特に感情の起伏もなしに旅を続けておりました。が、最後の最後、大きく違う点がありました、私の歓び方がいつに増して大きかった。私の大好きな章、故郷が自分を迎えてくれるシーンです。私、ここに来たことがすごく嬉しかった。いつもなら「良かったねーッ!」って主人公に言っているのですが、この夜ばかりは、それを口にする必要はありませんでした。ただただ嬉しくて笑っていました。とっても気持ちのいい「清河」でした。 


 アンコールは再びピアノで『サララ』。私、この曲を聴く時は、いつも目をしっかり開けてステージ上方を見てるんです。木々の間から降り注ぐ太陽の光を味わいたいし、光に透ける葉も、下から葉脈ごと見てみたいから。上から見るのと下から見るのとでは、同じ葉っぱでも表情がきっと違うと思うんですよね。いつもなら自分を開放させて、頭上からこの唄を降り注がせたいと思って聴いているんです。ですがこの夜は、ギュッと固く目をつぶって下を向いて聴いていました。目の前に広がる、ひとつひとつの光景を小さく丸めて、自分の中にたくさん詰め込んでおきたいと思ったんです。こういうの、一人占めって言うのかな?…違うかもしれないけど、気持ちからすれば一人占めとそうそう変わらない。ちょっとイヤらしい気もするし、自分らしくないと思ったこと覚えてます。でもそうしたかった。
 …この夜はすべてが濃厚でした。『柔らかな風に吹かれて…』?そんな風、この会場の一体どこに吹いてますか? のっけから暑くてたまらないし、新井英一がところどころ歌詞に力を入れるだけで泣きそうになる。なんで?わからないですよ。私、いくら好きでも、歌い手と聴き手が全く同じなんて思ってません。歌い手には歌い手の、聴き手には聴き手の感情の入れ処があるはずなんです。それらがぴったり合わされば最高だし、ズレたところで唄全体で重なっていれば、それで充分だと思ってます。なのになんで、こんなに胸が苦しいんだろう。今日のライブ、ずっとこんなでした。かなりギリギリまで来ていた私、自分の内側にどんどん向かっていたんだと思います。だから今夜最後のこの唄、胸に収めておきたかったんです。ギュッギュッと自分の中に詰め込んでおけば、いつかパァーッと開く時があるだろうって。ずっと目をつぶって下を向いていましたが、ふと急に上を見たくなりました。目を開けた瞬間、『朝日の中〜♪』、辺り一面、黄金色でした。私が今まで見てきた朝日とは違い、この上なく柔らかな空気が流れていて、その空気の細かい粒まで感じた。それが光に反射してキラキラ黄金色に輝いていました。耳に大きく響いた「生きよう〜よ♪」。あぁ!ほら見てよ、人だけじゃない、木も太陽も空気だって生きてるよ!私達の周り、生命がいっぱい溢れてるよ!…会場に向かって頭を下げる新井英一に拍手を送りながら思いました、「素晴らしい!あなたは本当に素晴らしい!!!」、私、今日こそ勇気をふりしぼって、彼にそう伝える、絶対に伝える!!


会場を打ち上げ用に整えている準備中。知り合い数人いたけど独りになりたくて、しばし暗闇でボ〜。

アハッ、結局よう言いませんでした、タイミング逃した。゚(ノ∀`*)゚。 これは打ち上げももう終わりの頃。サービス(もしくは、もう帰るという合図)で『テネシーワルツ』を唄っているところです。こんな私でも一応「主義」を持っておりましてネ、ちゃんとしたカメラならともかく、ケータイ程度で新井英一を被写体にしちゃいけない、チャンスはあっても絶対撮りませんでした。でも今夜は、ずっと守ってきたその主義を捨ててしまいました、形に残しておきたかったんです。私が撮った新井英一、最初で最後の1枚です。

楽しかったライブも終わりました。ここは八王子のとあるホテル。時間は11時ぐらいかな? 大好きなCさんが「これ、美味しいのよ」と私にも買って来て下さった、ずっしり重いりんごのパイを前に、今夜聴いた唄の数々を再現させている最中です。別に大袈裟なことではありません、私は何にもしない、ただ唄をなぞってじっとしてるだけ。身体がその時の反応を勝手に再現してくれるので、それに任せておけばいいのです。『命の響き』…そうそう、あの時、ヤケに手が気になったんだった、唄に重なって、手が大きく浮かんでは消えてた。珍しい、ほとんどないもん、自分が唄に現れることって。それにあの暑さ! 『元気』はノドのすぐ下がしんどかったなぁ。でもあれは仕方ない、ああでもしなきゃ口から出そうだったもん。ああいうの、血が沸騰するって言うのかなぁ…身体がえらくムズムズして、そのまんま放っておいたら叫び出しそうだった、だから自分を一生懸命抑えつけたんだけど、あの時の内側からの抵抗力、すごかったよなぁ。へ〜、結構強い力、私、持ってるんだ、フッと笑った時のことです。「あ…」。思わず目が釘付けになりました。突然目の前に大きな珠を乗せた手の平が現れたんです。水晶ほど澄み切ってはいませんが、白っぽい綺麗な珠です。あぁ、これだったのか! 今夜聴いた唄への反応も、あの暑さの理由もすっかり納得行きました。この珠、私、過去に一度見たことあります。北九州『48番』ライブの終わりの方で、新井英一が手にしてた珠によく似てる、ただしあっちは私のに比べ、もっともっと大きかったけど。この珠をもっと磨かなきゃ!育てなきゃ!なんだかワクワクしてきたゾ、ああ、来てヨカッタァ!!!