大地の声・・・新井英一 in 調布 『いの』

 またライブから時間が過ぎてしまいましたが、昨日のことのように言います、『いの』、行ってきましたァ!。去年は行けず、今年で4度目かな? ここに通うようになったきっかけは、とあるお詫びでした。普段は全然そんなことないのに、たま〜にやらかすんですよね、私、大ボケ…。

 ある年の暮れ、新井英一デビュー30周年祝賀パーティが東京・三軒茶屋で開催された。やると決まった時からものすごく楽しみで、パーティ1週間前からほとんど眠れず、当日は神経が異常興奮。ピリピリ鋭敏も度を越すと、座ることが出来なくなってしまうんですね。食事も心配した友人が運んでくれ、ひとり立ったまま食べたほど(幸せで胸一杯♪)。会場の隅っこに休憩コーナーが設けられてまして、15分置きだったかな、神経を休めるためと棒になりそうな足を動かすため、ひんぱんに通ってました。そこに一人の男性が。白髪で長身ニコニコ優しそう、話しかけてみました、「こんにちは!どこから来られたんですか?」「僕は近所ですよ」、しばらく会話した後、その方、「年明けに新井さんのライブをやるんだけど、よかったら来ませんか、場所は調布です」「調布?どこにあるか知らない…」「ここからも近いですよ」「ふぅ〜ん、まあ覚えときます。パーティ戻りますね」。…しばらくして、再びそこに行ったら、一人の男性がいました、白髪で長身、ニコニコ優しそう。話しかけてみた。「どこから来られたんですか?」「…近くですよ」「東京?」「東京じゃない‥・年明けに新井さんのライブやるから…」「ふぅ〜ん、まあ覚えときます」。…15分後…「こんにちは!…あれ?どこかでお会いしました?」「はい、ここで」「ああッ、今思い出した!」。ねぇ、不思議でしょう? パーティ終わるまで延々この調子で、終わった途端、目が覚めた、みたいな。ま、翌日熱出して、一週間寝込んだけど(笑)。それにしてもこの方えらいですよ。イヤな顔ひとつせず、最後までニコニコ丁寧に接してくれました、さすが小学校の元教諭。「今日はホントに失礼しました。お詫びと言っちゃなんですが、ライブ行きます、約束します」。で、行ってみたらとても良くて通うようになったというわけです。


これを読むと「『いの』に来た!」って感じ。


 では、今年初のライブです、オープニングは『夜明けの唄』。のっけから訳わからないことをと思われるかもしれませんがお付き合いください。唄い出して間もなく、地面から湧き、上へ上へとのぼっていく太い声に、目を見張りました、「逆だ」…。3、4回ぐらいかな?、この唄聴いたことあります。そのどれもが、唄声は上から下へおりてました。まだ明けきらない空に唄声が混ざり、祈りや希望の陽光となって地上へ降りる…といった感じ。今日は逆なんです。違う点がもうひとつ。空の色と、その下に見える山々の曲線がそう感じさせていたんでしょう、私、これを唄う新井英一の声を、今までずっと女の声として聴いていました、でも今日は違った。じゃ男?…ジッと耳を澄ませた。…違います、性を持たない声でした(興味あれば聴けますよ。アルバム『唄魂』の中の『祈り』がその声です)。声が性を持たない時って、上でもなく下でもなく中間、一番広い空間の、空気の密度が濃くなるんですね、見えないものが見える気がします。ささやかな願いを運ぶ空気はオーロラのゆらめきでした。『…思い出させる〜ふるさぁとの唄♪』。最後は空気が横に大きくうねりました。


『君に夢の歌を』。唄始まって間もなく、体内から声が聞こえた、かなり喜んでます、「今日は自由だァ!」って。だって初めてですもん、この唄を「私」が聴くの…。どういう意味かと申しますと、今までずぅーーーっとこの唄を聴いていたのは、私とは別の誰かだったんです。誤解なきよう繰り返しますネ(笑)、もちろん私の耳が聴いてるんですよ、でもいつも、唄の中、優しく語りかけるこの男性の前には、誰かがいて、私はその後ろで、二人の会話として聴いてきました。誰かは巨大な瞳で現れる時もあれば、姿は見えずとも気配で存在を感じる時とか色々です。…今日はいない、私以外誰もいない、だから、その子の悲しみを理解しなきゃなど思う必要がないんです。私の知ってる範囲でいいんだって。…男性の言葉がストレートに耳に届きます。声そのものはいつもと変わりません、でも安心感が全然違った。この人の声が大きな洞窟になっていたんです。私の洞窟です。中をうろうろしながら壁を確かめるようにぺたぺた触った。いつか、私なりに大きな悲しみ苦しみを抱えた時、この洞窟に戻ってこよう。そして360度この声に包まれようと決めた。え〜、白状しますと、この歌を好きだと言う人とても多いですが、私、今日初めて好きになりました、おそッ!


ここで新井英一さん、今年初のご挨拶。昨年末と変化なし、いつも通りピカピカな人です、2015年ライブのスタートを喜びました。「今日もいろんな歌を唄います」、うわぁ〜い、ヤッタァ!…本日3曲目は、『雪に書く恋文』。この人、ホント、これ好きだなぁ、毎回聴いてるイメージだと、唄が始まるまでは笑ってたんです。それが、アアッ!! 「ちょ、ちょっと待って」…、いきなり心臓が、私のちっちゃな心臓がぁ!、トンデもない速さと力でバクバクバクバク!「なんで!どーしたのッ!?」。痛くないし苦しいわけじゃないんだけど、あり得ないスピードに、当然ながら恐怖と不安でライブに集中できず。せっかく新井さん、こんなに真剣に唄ってるのに!、今日は残念です、と思ったその時、うわッ!…。目の前の男(注:新井英一じゃないですよ、『俺』です、この歌の主人公)の、胸がやぶれた…。多分、これは彼が心の中をあからさまにしたことを表わしてるんだと思った。一番驚いたのは次です、「ヴィソツキー!」。この男(俺)、外から見るのと内側からとじゃ全然違った。新井英一の声にヴィソツキーの声が重なり、私はかつて聴いたことない二人同時の唄声に目を見張っていた。何が起こったのか…ビックリばっかりでした。(補足:「俺」がヴィソツキーだと言ってるのではなく、ヴィソツキーの精神を「俺」の中に見たという意味です。そう書きたいけど書き方わからない)


『ケサラ』。ちょっと息抜き。今日はいい天気。ウ〜ンと伸びをして、ゆ〜ったり川が流れる土手の草むらに、ドサッと寝転んだ時、あなたの目に入った青い空、どんなですか?…その青空が、この曲の私の感想です。

『泣く友を見る』。そうなんです、これを唄う時の声は、あの歌の声と同じなんです、今日で言えば、2曲目の声と。…「泣く友を見る」にしても「君に夢の〜」にしても、私、毎回聴くたびに思う。例えばこの歌。恋に戦争に様々な理由で泣いてる人々が登場しますが、主となる人物(『私』ですね)、『私』は「友」や「君」以上に苦悩を知っていないと、絶対成り立たない歌だと思うんです、声こそ命。だからこの曲は、歌に耳を傾けるというより、声に全神経集めて聴きます。声がものすごく分厚い、そして沢山の粒々が見える。友が『私』の、分身というより、地球のあちこちに散らばった『私』の肉片のような。だって、『私』の涙が近いから。

 曲名聞いて思わず訊き返した…それって、あの、『インシャラー』?…20代前半、ひたすら聴いてたレコード10枚組「シャンソン大全集」。戦前戦後の主要な、とにかく膨大な歌の収容で、いちいち見てたらキリがない、ソラで聴いて、自分のアンテナにひっかかったものだけを解説書でチェックしてました。『インシャラー(神の御心のままに)』は、私がそれまで持っていた‘シャンソン’のイメージを覆すきっかけになったこと、そして訴えるような、若い歌声が印象的でした。「へ〜え、久しぶりだなぁ!」、感激したのも束の間。そんな悠長なものではありませんでした。…新井英一の声に、私がいきなり放り出された場所は、乾いた土の上でした。地面に這いつくばったまま見上げた周囲は、砂混じりで色がない。岩の陰にふと見つけた小さな花。その姿に不釣り合いにポツンと孤独に咲いている。この可憐さに誰も心を奪われないのだろうかと思った。砂の向こうに人が見える…、女、子供…。大勢いるのに誰も笑っていない、声ひとつ聞こえない。子供を抱いたひとりの女の、こっちを見る黒い目が遠かった。その時、私の横を、一人の男が足早に通り過ぎた。怒りに震えながらもなすすべはなく、周囲を確認するだけで日が過ぎていくようだ。男が歩くたび、砂が散り、私にふりかかる。突然男が地割れのような声で叫んだ、「インシャッラーッ!(まだ祈り足りないと言うのか!)」、私はうずくまり、両手で顔を覆った。(一部、終了)


 10分ほどの休憩時間、外へ出た。のどかな日曜日の昼下がり、人出も多く、皆それぞれ楽しそう。歩きながら、う〜んと伸びした、冷たい風が汗に当たって気持ちいい。少し街を歩くと、さっきまで真っ黒だった頭が白い部分を徐々に取り戻してきた。そろそろ戻る時間かな?…黒を一気に払うため、首や腕を振りながら、会場に急いだ。


 2部スタート。『2月のソウルは』。残念なことに今日はいい天気、おまけに会場は汗ばむほど暑いしで、寒さが身体になじまない。そのせいか、唄の中、暗くて何も見えず、しばらくボサッと立ってました。「♪やるせぇないほどにィ、心がときめ〜く!♪」、あ!電気ついた!…沢山のライトが集まってるから、夜空はこんな青くなるんでしょうね。そして空がすごく小さいのは、所狭しと軒を連ねる看板のせい♪ ホントなら私が動いてるはずが、映像だと周りが動いているとこも気分良かったりして。左右両脇からこっちを見る人々の視線が、一瞬でも愛情に感じます。青いゴミゴミした路地を歩くのがとっても楽しかったです♪ アジア続きですが、風景は打って変わって、『エイジアンパラム』。新井英一さん、力持て余してるんじゃないでしょうかね(笑)、今日のアジアの風、もうもうたる砂ぼこり、塊りで大暴れしてましたよ。風と言うより、私にはぶっとい筒でした。天に向かってドォ〜ン!


 歌に入る前、何か喋り出した新井英一。MCではないな、顔がひきしまってるもの。「谷川俊太郎」と聞こえ、思わず顔をそむけた。『死んだ男が残したものは』。もうたのむわ!(=勘弁してよ!)、またあんな思いしなきゃいけないのか…覚悟決めましたが、必要ありませんでした。当然ですが、目をつぶって聴いてる私には新井英一の声がすべてです。実際そうだったのか、そう聴こえただけなのかわかりませんが、唄がびっくりするほど、感情で溢れてた、私の涙や怒りまで、ひとりで吸い込んでるような声でした。おかげで、唄を冷静に見渡すことができました。…緑の丸い地球に沢山の人間がいる。子供以外何にも残せなかった男や女の子供達が新しい未来を、また次の世代の子供たちのために作ろうとしている姿が見えています。美しいと思うし、希望も感じる。未来もずっとそうあり続けて欲しいと思いました。…私の分まで持っていった、涙ボロボロのくしゃくしゃ顔だろうな、と目を開けて新井英一を見たら、あれ?…全然フツー。ケロッとしてる。さっきのは何だったんだろ…この人のこういうところが理解できない…。


『望郷ブルース』。前奏のすっかり耳になじんだメロディがやけに有り難く思えた。「♪〜久しぶりにィ〜故郷に帰ったぁ〜…俺はひと時そこに‘'突っ立ってた''♪」。字余りの節(ふし)が、「これはお話だよ」と私に教えてくれました。そのようですね、私の左隣から、見えないけど見える太い腕が現れて、あちこちを示しながら「昔はここは…」と案内してくれます。言われるままあちこちに目をやるたんび、現代が当時の風景にスーッと吸い込まれるように消えていき、気がつけば周囲の様子はすっかり変わっていました。「あ!あの子だ!」…いつだったか、この唄に見た少年が立っていた。あの時と同じように、背後に黄色い太陽をしたがえている。細く小さなくせに大きな太陽が似合う子なんです。後ろを向いたと思ったら、またあの時と同じように、その太陽に向かって走って行きました。


十五夜の月』。初めて聴いたそばから大好きになったのに、なんでだろう、すごく「遅かった」。この唄、不思議なんですよ、聴いてる自分までしっかり記憶に残ってるのに、いざ振り返ると、アレレ?…まるでそんな狭い所に閉じ込めてくれるなと言わんばかり、唄がゴッソリないんです。1度や2度じゃないですよ、2年後だったかな?CDで初めて、「こういう唄だったのかあ!」…どんだけ聴いたか。とまあこんな感じで、何年もかかって、ようやく今、唄が自由に動き出すようになりました。今日は歌の始まりから終わりまで、お義母様の姿がいろいろ連続していました。具体的には何をしてるのかわかりません、どれも何気ない日常の動作だと思うのですが、私の目には舞いのように映ります。おそらく可愛いお人柄がそう見せるんだと思います。…唄も終わりの頃でした。自然過ぎてあやうく見過ごすとこでした、お義母様、何をしている時でも、頭がまっすぐこっちを向いてることに気づき、ハッとした。…いつもどんな時も遠くで暮らす息子夫婦を気にかけてらしたんだとわかったら、涙がボロボロッとこぼれました。自分の涙ながらその大きさにビックリしました。『清河への道』。いいとこまで来てたのに、また振り出しに戻ってしまった…。仕方がない、スタート地点に立って、主人公と共に旅をします、何度目の旅だろうなぁ…。いいのよ、それで。その内また何か見つかるでしょう♪


…えぇっと、きりぼし…なんでしたっけ?「切干じゃないわよ、かりぼし!」‥あはは、そうだった、で、字は?「仮りに干す」ですか?「違う!、の方よ」、ふぅ〜、やっとのことで覚えました、アンコールは、『刈干切唄(かりぼしきりうた)』。…宮崎の民謡だそうですね、なんで東京の人が知ってるんだろ、ここいる全員、宮崎からの移民かってくらい知ってるんですよ、不思議。方言なんでしょうか、かなり長い歌にもかかわらず、言葉は99%、わかりませんでした。確かに情報量は極端に少ない曲ですが、そのせいではないと思う…、何て言うか、二重三重に連れて行かれた理由は(これ、感想述べるのすごく難しいッ!この日のライブで一番難しいです)。まず楽器は、唯一この曲だけピアノ演奏でした。…覚えていることだけ書きます。目の前に現れたのは、大きな空と畑。非現実的だけど、縦方向は空の方が分量的に大きく、奥行きは畑の方が深く感じます。気がついたら、私、畑のちょうど真ん中に立っていました。いや違う、正確には、畑の真ん中に立ってる自分を見つけたのです。私の目にはその自分が、自分と言えどもただの人形のように見えます。でも畑に立ってる方の私は、時折り空を見上げては、さらに奥へ、つまり、こっちじゃない向こう側へと遠ざかって行くのです。その遠ざかる時の自分が、空に引っ張られるように感じた。なぜか、過去=空のような気がした(知らない!、そんな気がしただけ。なんせ言葉がわからないんだから!)。すごく覚えてるのが、辺り一面、畑を見て、今日は確かライブに来たんだったよなぁ…。意識モーローでしたね。あと、なぜかすごく悲しくなってきた。気のせいかな。次はどこで聴けるでしょう、ぜひ聴きたい。でも聴いてもわからないだろうなと、堂々巡りです。


 美味しそうでしょ?、美味しいんですよ〜、ライブ終了後は、『いの』恒例の打ち上げです。「いぶりがっこ」(左端の黄色いの)ってご存知ですか? 沢庵なんですが、表面がいぶしてあって、まさにスモークチーズの香り。ポリポリポリ、美味しい、気に入った。秋田のお漬物だそうです。で、またびっくり。みんな知ってるの、いぶりがっこ。ちょっとぉ、ここは東京でしょ? みんな秋田からの移民かってぐらい、誰ひとり珍しがらないの、どーして?…ああ、それにしても美味しい…。今度仕事で秋田行ったら買ってこよっと♪


「アダモは僕の尊敬する歌手の一人です」。新井英一、今日のステージでそんなこと言ってました。アダモと言えば『雪が降る』がすごく有名ですね、ご存知ですか?新井英一さんもカバーされてます、数年前の九州で聴きました。今もしっかり耳に残ってます。唄い出す前までは「新井英一たるものが、なんで今さら『雪が降る』なんだ」と思ってたんですが、いやいやいや…、新井英一のクセをまぁーーーったく取り払った時、声はこんな風になるんだという、ヒジョーにいい例を体験させていただきました。今もしょっちゅう思い出して、うっとりしております。「唄いたい曲はすぐに唄ってみる。良ければ続けるし、ダメならそれっきり」のようなことをどこかで言ってましたが、『雪が降る』はご自分ではどうだったのかしら?…どこかのライブで今も唄ってるならいいんだけど、もしあのステージ限りなら、すごくもったいないです。女性ファンかぶりつきますよ、保証します。あ、どーしよ、思い出してしまった…新井英一カバー、アダモの曲もうひとつあったわ、『ブルージーンと皮ジャンパー』…。

Salvatore Adamo - Inch Allah 1967
https://www.youtube.com/watch?v=1m0GHLyO6TA&list=PLIbvVS3NUZ1VZSxLY7CXaAcFE7TFufGbE&index=11

夜空に輝く月影は青く
この世を流れる歌声は悲しい
嘆きのイエルサレム その岩かげから
聞こえてくるのはひなげしの祈り
平和をささやく教会の鳩よ
お前は知らない近づく嵐を
清らかな泉も戦いに荒らされ
水を汲みに行くのも命がけのこと
インシャラーインシャラー

敵地に囚われ戦場に眠る
勇士の涙でオリーヴは実る
茂みを横切る鉄条網には蝶々が止まって薔薇を眺めてる
子供らは震えて泣き叫んでいるのに。
どこへ行ってしまったの、イスラエルの神は

嵐がすべてを倒した後には
新たな勇気が道を切り開く
栄えあるエルサレム
その岩陰には
祈りを捧げるひなげしの花
ささやかな祈りにみな声を合わせ
歌声はのぼり行く晴れた空高く
インシャラーインシャラー...